久保川達也教授へのインタビュー


久保川達也教授は東京大学経済学部に30年近く勤務され,今年度をもって定年により退職されます.そこで,教員生活の一つの区切りとして,これまでの研究・教育の経験について伺うことにしました.インタビューは2024年11月22日,経済学研究科棟の応接室にて行いました.なお編集により,個人・団体の敬称を変更・省略していることがありますのでご了承ください.

企画・文責:
丸山祐造(神戸大学教授,統計コース2000年論文博士)
菅澤翔之助(慶應義塾大学准教授,統計コース2018年論文博士)
入江薫(東京大学准教授)

聞き手:菅澤

(博士号取得まで)

—— 統計学を志した理由は.

学部は数学科でしたが,純粋数学で研究者になるのはハードルが高いけど,統計学なら潰しが利くので,将来研究者になれなくても就職はあるのではと考えました.打算で統計学を選んだ感じですね.今振り返ってみると,学生の頃に懐いたイメージはあながち間違いではなかったように思います.統計学の研究は標本調査,実験計画から数理統計,計算統計など幅広く,それぞれの人の関心や能力に応じて研究テーマを選ぶことができます.統計手法は文系・理系の多くの分野で利用され,統計ユーザーも多岐にわたります.このようなダイバーシティーこそが統計学の良さですね.

—— 学部は筑波大学の第一学群自然学類でしたが,統計学との出会いは.

統計学を勉強してみようと思ったのは学部3年生の時ですね.先輩に聞いたら,Mood, Graybill and Boes (1963) "Introduction to the Theory of Statistics", McGraw-Hillという本がいいというので,それを独学で読みました.確率変数の面白さを知り,数理統計について更に勉強したいと思いました.

4年生の時に杉浦成昭先生のゼミに入り,Zacks (1971) "Theory of Statistical Inference", Wileyの輪読を行いました.博士課程の学生が読むような難しい本で,しかも元論文に立ち返りながら読んだので,他のゼミ生には難しく,ゼミの前にサブゼミを開いて自分が講義をしていたような記憶があります.それが原点ですね.

—— 博士課程への進学を決意したのはいつ.

修士課程に入る時には研究者を目指そうかなとなんとなく思っていました.

—— 博士課程での研究テーマはどう見つけたか.

Zacks (1971)の本の中にcommon mean problemという例が出てくるんですよ.二標本問題で2つの正規分布の平均が共通で分散が異なるときに共通平均を推定する問題です.Zacks自身もこの問題の論文をいくつか書いていて,位置共変な推定量のクラスの中でベイズ解を求める,いわゆるベイズ共変推定量の内容が面白かったと記憶しています.この問題に関する研究に取り組んでいこうと思ったのですが,どのような研究テーマを考えたらいいのか,手探り状態でした.あまりにも古典的な問題を統計的決定理論の枠組みで研究しようというものですから,誰からもアドバイスがもらえない,というよりも,むしろ研究テーマを変えた方がいいと思われていたのではないでしょうか.論文のテーマを自分で考える必要があったので大変でしたが,何かいい結果を出そうと気持ちだけは前向きでした.

一般に大学院生の時代は光もあれば影もあります.むしろ苦しい場面の方が多いかもしれません.自分の人生において道標のない荒野に自分の足跡を刻んで道を築いていく作業なので,大変なのは当然ですよね.しかし,そのような中で踏ん張って頑張った経験はその後の研究生活で生きてきましたね.長い研究人生において,どういうモチベーションで,どういう研究テーマを選ぶかというのは常に手探りで,自分で考えていくものです.また研究は行き詰まりとか壁への挑戦です.50歳,60歳になっても研究に面白さを感じて論文を出し続けることができた原点は20歳代のときの経験にあるように感じます.

また,20代で苦労した経験は大学教員になってから大学院生に研究指導する際にも生かされたように思います.大学院生に対してはできるだけ寄り添って一緒に研究していこうとの思いで接してきました.そのように関わった大学院生の中で8名が大学の教員として活躍されているのは嬉しいですね.

—— 当時の大学院の環境は.

筑波大学の数学系には,自分が大学院に入学した当初は杉浦成昭先生,長尾壽夫先生,白石高章先生がおられました.その後,赤平昌文先生が加わって,数理統計学が活発に研究されている雰囲気でした.Arthur Cohen (Rutgers Univeristy), Bimal Sinha (University of Maryland), A.K.Md.E. Saleh (Carleton University)などのvisitorが来られたり,刈屋武昭先生や赤平昌文先生の大学院集中講義もありました.博士の学位を取られて一時帰国された竹村彰通先生が来られて講演されたときのインパクトは大きかったですね.同じ研究室の大学院生には今野良彦先生や留学生を含めて何人かおられて,Eaton (1983) "Multivariate Statistics", Wileyを輪読していました.

—— Common meanは博士論文のテーマになり,一本目の論文はAnnals of Statisticsに採択されました.その経緯は.

博士課程の1年の時は完全に行き詰まっていて,何をこの先やったらいいのか全くわからず悶々としていました.25歳の頃でしょうか.

そんな中,統計的決定理論で有名なStein問題についての論文を読んだときのことです.その論文ではminimaxな推定量の広いクラスを考え,その中にBayes解を求めることによって,許容的でしかもminimaxな推定量を導出するというものでした.そのとき,同じことをcommon mean problemで考えることができないかと試行錯誤を始めました.そうした挑戦を続けていく中で,Bayes 共変推定量を含むようなminimax推定量のクラスを上手に作ることができたのが,博士課程2年の12月頃ですね.

博士課程はもう1年ちょっとしか残ってないというタイミングで,翌年の1月に指導教官がBowling Green State Universityから帰って来られたので,出来上がった論文を持って行きました.学内セミナーで発表したら,良い評価をもらえましたね.直ぐに論文を添削してくれまして,Annals of Statisticsに投稿したらと言われました.投稿した半年後にリバイズが返ってきたんです.再投稿して8ヶ月後にアクセプトされました.嬉しかったですね.最初の論文がAnnals of Statisticsに掲載されたのだから,9回裏に逆転満塁ホームランを打てたみたいな感じです.

—— 博士号を取得した1987年当時のアカデミアの就職の状況は.

当時は博士を取ってもなかなか就職できない状況でした.同世代で優秀な学生の多い大学がありましたが,大学教員への就職には苦労されていたように思います.他の研究分野ではオーバードクターが沢山おられて問題になったようですが,統計学はまだよかったかもしれません.

—— 高校で数学を教えていたこともあったと聞きました.

自分の場合も同じで,博士を取っても思うような就職がなかなかうまくいかなくて研究生で残りました.生活費を稼ぐ必要があったので高校で非常勤講師として数学を教え,夜は大学の研究室に行って研究をする日々でした.でも,Annalsに論文が通っているので,気持ちは全く大丈夫でしたね.そんな中,5月終わり頃に杉浦先生から連絡があり筑波大学の助手に採用されることになったと伺いました.嬉しかったですね.高校で非常勤講師をする生活を3ヶ月続けた後,7月から筑波大学の助手になりました.杉浦先生には本当に感謝ですね.学部のゼミの時代からお世話になり,大学院時代には多大なご心配をおかけしてしまったこと,そして研究者の道を開いて頂いたこと.年月が経つにつれその感謝の念が深くなるのを感じています.

(国際共同研究と東大への着任)

—— 1990年ごろから海外の研究者との共著論文が増えました.

最初に一緒に仕事をしたのはA.K.Md.E. Saleh (Carleton University)です.彼はBowling Greenで杉浦先生のlectureに参加されていたようで,その後来日され筑波大学を訪問されました.最初の年は白石先生がCarletonに数か月滞在され,翌年は自分が2ヶ月,夏休みの期間に訪問しました.筑波大学の助教のころで,滞在費はSaleh先生の研究費から出してもらいましたが,当時は科研費を旅費には使えなかったので,航空券代は自費でした.初めての海外で戸惑うことが多々ありましたが,オタワで過ごした夏の2ヶ月は夢のような日々でした.夜9時半頃まで明るいので,夕食の後に図書館に行って研究していましたね.

Christian Robertも1ヶ月後にCarletonに来られ,そのとき初めて会いました.非常にフレンドリーな方で,意気投合し,共著論文を1本書きましたね.数年後に彼がパリに誘ってくれて,4週間滞在することになります.1992年頃でしょうか,彼がMetropolis Hastings法が面白いと盛んに話しておりました.自分は計算統計の分野には参入しませんでしたが,彼はMCMCの分野で有名になっていくので,先見の明があったなと思いますね.

—— Saleh先生との共同研究とは.

Saleh先生はノンパラメトリックの専門家で当時ノンパラメトリックでの縮小推定についていくつか論文を書いていましたので,共同研究のテーマも縮小推定でした.思い出されるのはPitman closenessという基準の研究です.これは普通のリスクと違い推移律が成り立たないため,あまり評価されてこなかった基準ですが,C.R. RaoがStein現象についての論文を書きました.しかし解析的な証明ができていなかったので,その問題に取り組む中で上手に証明することができたのですね.そこでAnnals of Statisticsに投稿したところ,ちょうどP.K. SenとA.KMd.E. Salehが同じような論文をAnnalsに投稿していて,エディターが共著にすることを勧めたのです.P.K. Senとも一緒に研究して最終的にAnnalsに掲載されました.

—— 当時,論文の投稿はどのようにしていたか.

論文の投稿は郵送で,郵便事故はなかったんですが,送ったのに返事が1年もないことはありました.問い合わせたら,山積みになっている論文のどこか奥の方で眠っていたと.エディターも忙しいですからね.

レフェリーやエディターとのやりとりも郵送でしたから,その手紙をずっと保管してたんですよ.90年代後半ぐらいから徐々にメールでのやりとりに移っていったような気がします.

—— 執筆についてはどうか.

僕が大学院の頃はNEC-98のソフトを使って論文を書いていました.博士論文を見直してみると印字がすごく見にくいですね.TeXを初めて知ったのは,大学院生の時に竹村先生がスタンフォードから一時帰国されて筑波大学で講演された時です.zonal polynomialについての学位論文をTeXを用いて書かれていて,みんな,どうしてこんなにきれいに打てるんですか?と聞いたように思います.その後,89年頃から徐々にTeXが流行りだしていくんですよね.論文を書くのは格段に楽になりました.

—— 研究動向に関する情報はどのように得ていたか.

図書館にジャーナルが送られてきて,それを全部チェックしていました.面白そうなのを全部コピーして,満足して終わってしまいました(笑).30代,40代中頃まではちゃんと全部チェックしていたけれど,その後はほとんどしなくなり,自分が面白いと思うテーマについてのみフォローしています.国外の学会はあまり積極的には行きませんでした.縮小推定などの分野は学会に行かなくても情報があったので.

—— 印象に残っている研究集会は.

大昔にISIのミーティングが東京でありました.僕はその時,助手だったのかな.P.K. Senが来て,会場で一緒になって共著論文の中の証明の未完成部分を考えた思い出があります.過去にAnnals of Statisticsのエディターだったvan Zwetも来ていて,杉浦先生に紹介してもらいました.あとZacksも来ていて,自分が書いたcommon meanの論文を渡しましたね.彼はのちにStatistical Sciene (1991, page152)の中でそのことを紹介してくれました.しばらくして,小川賞を受賞したときのパーティーの折りに,大阪大学の丘本先生に「Zacksが言っていた日本の若いジェントルマンとはあなたのことですか?」と聞かれて驚いた思い出があります.

国内では,自分が20代から30代の頃は日本数学会統計数学分科会が数理統計学の主な研究発表の場でしたが,その後徐々に他の学会での発表が主流になっていきました.

大学院生当時は統計スプリングセミナーという,助手と大学院生だけの研究集会があり,博士課程の学生が沢山集まっていました.自分より先輩や同年齢の大学院生が輝いていて,よい刺激になったように思います.当時,若手の中では,どの人がどういうテーマの研究を行っている,というのは共有されていたと思います.

—— 1989年に東大の工学部計数工学科に着任されましたが,当時の環境は.

自分を採用してくれたのは広津千尋先生です.当時は甘利俊一先生,伊理正夫先生,伏見正則先生,武市正人先生,杉原厚吉先生,有本卓先生など,錚々たる先生方がおられました.その中でも室田一雄先生が助教授でおられて,エネルギッシュに研究をされていて,自分も大きなインパクトを受けました.数理工学は数学を応用するのが目的でなく,現実世界にある課題を解決するのが目的で,そのために必要な数学を作って現実問題に適用していくという学問であり,そのような思いで研究されていたのが印象に残っています.当時栗木哲先生が助手をされていて,本田敏雄先生がまだ大学院生でした.談話室にあった膨大な漫画本の本棚も懐かしいです.その後,駒木文保先生が助手として来られました.

—— 統計学輪講は.

当時は工学部6号館の教授会室と経済学部の視聴覚室で交互にやっていました.普段の参加人数は,教員と大学院生を合わせて30人くらいでしょうか.その後,経済学部の新しい建物に階段教室ができ,そこでやることになりました.

僕が講師で東大に来た当時は竹内啓先生,竹村先生,甘利先生,広津先生がおられて,統計学輪講で発表するというのはそれなりに大きなプレッシャーでした.鋭く切り込まれるので,何でもいいから発表するっていう感じではなく,相当準備して緊張して発表していました.

学内で統計関係の研究者や大学院生が集まって,一堂に会して発表を聞くというのは,様々な分野のデータ解析を担うという統計学の性質上,理想的なあり方だと思います.しかし,徐々に皆さんの興味が分散していって,なくてもいいんじゃないの?という雰囲気になってくるのが普通だと思うんですよ.それが当時と同じように今も統計学輪講が続いているというのはすごいことだと思います.統計学輪講はやはり大事なんだと,そういう思いの強い人が何人かいるから続くのだと思います.それがないと衰退してしまう.多様性の時代であるからこそ,一つにまとまっていくような部分がやはり大事ですよね.

—— 1996年に東大の経済学部に移られましたが,そのきっかけは.

当時の経済学部には竹内先生,竹村先生,国友直人先生,矢島美寛先生がおられて,採用してくれました.IERD法に関する一連の研究が評価されたのだと思います.

IERD法のきっかけはPitman closenessの研究でした.そこでは部分積分を用いて計算をしていたわけですが,同じことをリスクを用いてできるだろうかと思ったのが研究のはじまりです.ですから,最初はIERD法ではなく,部分積分を使っていたんです.

この研究を統計学輪講で発表したところ,竹内先生が興味を持ってくれました.その三日後に3ページくらいの手書きのメモをくれたんですよ.そこにはリスクの差を積分表現できるという,自然で美しい証明方法が書かれていたんです.そのとき,竹内先生は,母数空間が制約されているときの推定問題では,打ち切り推定量は非許容的だから,それを改良するようなベイズ解がこの方法で作れないかと思って試みたが,うまくいかなかったと話されていました.この問題は今なお未解決の問題ですね.こうした未解決の問題に果敢に挑戦しておられたのですね.その論文がAnnalsに掲載されて,経済学部の助教授に採用して頂きました.IERD法は,その後,様々な推定問題で用いられることになります.

—— 研究のコツは.

難しいですね.若手の時はなんとか研究成果を出さなきゃいけないとの思いで取り組んでいましたけどね.論文を読んだり講演を聴いたりする中で素朴な疑問を出していくことも大事ですね.それが新たな研究テーマに繋がることもあります.

また集中して一つのテーマを深掘りしていくのとともに,その周辺を少しずつ広げていくのが大事だと思います.僕がStein問題を知って良かったのは,当時のホットトピックでしたから,世界中の優秀な研究者が取り組んでいて,いろんなアイデアを出して研究している,アイデアの宝庫になっているんです.そうしたアイデアを学び,自分の研究に取り入れることができる.だからホットトピックでどんなアイデアが出ているのかを見ていくことと,自分の研究テーマを深掘りすることとの両輪が大事なように思います.

研究では動と静の調和が大事だと言われますが,自分で深く考えるというのを「静」だとしたら,周辺分野のいろんな研究を覗いてみたり,コンファレンスに出ていろんな情報を得たりするのが「動」なのかもしれません.その調和が大事なのだと思います.

—— 統計的決定論の魅力とは.

きれいな結果が出ることです.逆にきれいな結果を出せるような研究をしていくわけですが.データ解析と違って,YESかNOかが明確なので,YESという結果が出れば論文も書きやすいし,理論的にすっきりしてくる.サプライジングな結果が出せれば最高ですね.そうした結果を出してみようという野心をもって研究できることも魅力です.

(小地域推定と2000年以降の研究)

—— 小地域推定についても多くの著作があるが,そのきっかけは.

経済学部にいる以上は,何か応用分野を2つぐらい持った方がいいと,同僚の先生からアドバイスを頂いたことがありました.これはとても大事なことです.自分にとっては小地域推定がその一つになります.小地域推定との出会いは,1988年にCarleton大学に滞在していたときです.そこの教授であるJ.N.K. Raoは小地域推定の世界的なリーダーで,大学での研究だけでなく,週の半分はカナダ統計局で標本調査が直面する課題に関わっていました.その姿はStatisticianとしては理想的な生き方だと尊敬の念が起こりました.しかし実際に小地域推定の研究を始めたのは2001年にGeorgia大学を訪問してGauri Dattaとの共同研究に取り組んでからですね.

小地域の研究をしていくうちに,地域統計の面白さを知るようになりましたね.日本全国の全体的な統計だけを見るのではなく,地域の現状や将来性など地域の差異に関する統計と分析は非常に大事だと思います.個々人の生活に最も身近な地域に関する統計分析は,それ自体価値があるとともに,統計学の有用性を身近な形でアピールできるのではないでしょうか.

統計学の研究の強みは,データ解析の現場を抱えていることにありますね.現実世界のデータに関わる限り,それを解決するための数理統計学の方法論には行き詰まりがないように思います.

—— 2000年代の国際共同研究について.

2001年がサバティカルの年になり,フランスに行ってChristian Robertのところに滞在しました.彼からW.E. Strawderman先生は面倒見の良い人だと聞いたので,その後にニュージャージーのRutgers大学へ行きました.同時多発テロの一か月後くらいのことなので,ニューアーク空港に着陸するときには,乗客がみんな窓の外のツインタワーの方向を眺めていました.自分もとても不安でしたが,Strawderman先生が迎えに来てくれて,家族ぐるみでよくしてもらいました.三週間の滞在の間,家族パーティーに呼んでもらったり,Long Beach Islandという大西洋に面する島にある先生のコテージに連れて行ってくれて,大西洋をぼんやりと数時間一緒に眺めていた時間がいい思い出です.先生はこの時間が好きなんだと話していました.

そこからGeorgia大学に行って,Gauri Dattaと一緒に小地域推定の仕事をしました.小地域推定について本格的に研究する方法を彼からは学ぶことができました.このとき行った研究についてはしばらく音沙汰がなかったのですが,それから10年後にリバイズの連絡が突然送られてきました(笑).修正後すぐにアクセプトされ,J.N.K. RaoとIsabel Molinaが加わり四人の共著論文としてスペインの雑誌TESTに2011年に掲載されました.

Toronto大学のM.S. Srivastavaとは,Stein問題や共分散行列の推定など興味が一致していたので,共同研究を始めました.広津先生の招待で来日した時に知り合い,カナダにも呼んでくれました.それで毎年,夏はTorontoを訪問するようになり,20回以上行ったんじゃないですかね.多変量の高次元解析を一緒に研究してきました.トロント市内は交通の便もよく,美味しいレストランが多く,しかも夏のカナダは爽やかな晴天が続くので,意欲が沸く精神状態で楽しく研究ができました.

海外を訪問する時は,One visit, one paperといって,そこで一本は論文を書こうとの思いで研究していました.Florida大学のMalay Ghosh, Sherbrooke大学のEric Marchandとも,そういうスタイルで研究しました.一緒に研究していると,相手の先生が「ああ面白いね」と喜んでくれたりして,それでまた喜んでくれるような研究をやりたいなと思って,力を出せましたね.

海外ではいいカフェが多いですから,カフェで研究することもありましたね.日本でも若い頃は午前中はカフェで午後は研究室で研究したこともありました.

(教育について)

—— 「統計I,II」や「数理統計I,II」の講義はどのように教えていたか.

最初の頃は黒板で講義していました.「数理統計」については,発見的な面白さを伝えようとの思いで講義していました.「統計」も初めの頃はそんな風に,学生に興味を持ってもらえるように講義をしていました.やがて教科書が登場してくるとそれに沿ってやるようになる.すると徐々に陳腐になっていくんですよ.自分の中の,学生に語りかけるようなパッションみたいなものが薄らいでくる.あげくの果てにタブレットを使い始めたら,タブレットの画面を見ながらの講義になってしまい,反省するばかりです.もう一度,昔の情熱を取り戻して,学生と双方向で学生を見ながら講義をしていこうと初心に帰る思いです.

統計学っていうのは,数学ができなくても楽しめる.小学生も,中学生も楽しめるし,文系で数学ができない学生でも,データをどう扱っていくか,どう解析していくかの面白さを味わうことができる.そういうことを追求したい.もう一度原点に戻って,統計の出来上がった枠組みを取っ払って,データ解析の面白さを学生と共有できるような講義を作っていこうと思います.

—— ゼミ(演習・少人数講義)はどうか.

初めの頃は,Box and Jenkins (1976) "Time Series Analysis - forcasting and control" の時系列の本を読んだり,Chatterjee "Regression Analysis by Example" を輪読していました.少人数講義でもよくなってからは,尾崎俊治(1996)「確率モデル入門」(朝倉書店)を使ってポアソン過程や分枝過程,マルコフ連鎖などの応用確率過程を講義しました.ミクロ経済のゲーム理論の学生が興味を持って聞いてくれてたような気がしました.

そのうち問題演習をやるようになり,数理統計については,稲垣宣生(2003)「数理統計学」(裳華房),野田一雄・宮岡悦良(1990)「入門・演習数理統計」(共立出版),Casella and Berger (2002) "Statistical Inference", Duxbury, などの本の章末問題を解いたりしていました.そうした問題のうちいい問題を記録しておいて,自分の本を書いたときにそれを集めて章末問題にしたんですね.数学基礎については,押川元重,阪口絋治(1989)「基礎微分積分」(培風館)や石井恵一(2013)「線形代数講義」(日本評論社)などの章末問題を解いていました.

—— 私もゼミで「現代数理統計学の基礎」を使っていて,いい章末問題だなと思っていましたが,その理由が分かりました(笑)



—— 大学院ではコア科目の「統計的推測理論」を担当され,Lehmann and Casella "Theory of Point Estimation"の内容に沿った講義をされました.

その講義は元々,竹村先生がなされていました.各年でLehmann and Casella (1998) "Theory of Point Estimation", Springer と,Chung (1974) "A Course in Probability Theory", Academic Press の確率論を交互に教えられていたんです.僕が赴任してLehmann and Casellaの方を担当することになり現在に至っています.この本のレベルは相当高いので,徐々にアドリブが入るようになり,自分が面白いなと思ったことを付け加えていきました.例えばラプラス分布が登場してきたときには,ラプラス分布そのものだけなら無味乾燥なんだけど,この分布を事前分布にとって線形回帰モデルをベイズの枠組みで考えると,ベイズ最尤推定量はlassoというよく知られた手法になるんだよとか話すと,学生は興味を持ってくれますね.

—— 最近では,これまでの教育成果を教科書として多数出版されている.その始まり,久保川・国友「統計学」東大出版の執筆の経緯は.

「現代数理統計学の基礎」共立出版の方を先に書いたんです.初めは「漸近論を扱った本はあるので,有限サンプルの性質を中心に扱った内容の本を書いてほしい」と言われたんですが,経済学部の学生にとって計量経済学などを学んでいく上で役立つようなものにしたいと次第に思うようになり,漸近理論の基礎,統計的決定理論,計算統計学,簡単な確率過程の話も盛り込んだ内容になりました.こちらの編集と修正に時間をかける中で,経済学部の2年生対象の駒場キャンパスでの統計学の講義をしているときに,駒場統計用の教科書を書くことを思いついたんですね.後半の社会・経済・時系列データを解析するための統計手法については国友先生に執筆をお願いして共著で書くことにしました.

—— それ以外にも多数の書籍の出版がある.

「現代数理統計学の基礎」が刊行された翌年には,数理統計学がデータ解析に役立つような本を書きたいと思っていました.それから5年ほど経過した頃,統計検定準一級用のワークブックを見ていたら色々なことが網羅的に書いてあって,この1冊で統計学の全体像を把握できる優れものだと思いました.このように統計学の理論から応用までの広く浅い知識を教科書的に学べるようなスタイルで書けないかと考えたのがきっかけです.ちょうどサバティカルの年で,前半では菅澤さんと一緒に混合効果モデルについてSpringerのモノグラフを書き,後半でAll in Oneの数理統計学を目指して書いたのが「データ解析のための数理統計入門」共立出版になります.

今から30年40年前は,統計学は古い学問で数学の亜流のように思われていました.それが,機械学習やAIの発達に伴い,ここ10年ほどの間にデータとその解析の必要性がクローズアップされるようになりました.特に驚いたのは,地方銀行に勤務している知人から統計検定3級と2級が行員が取得すべき資格になったとの連絡を受けたときです.確かに,東大の卒業生で大学時代にもっと勉強しておけばよかった科目として「英語」と「データ解析の方法」が挙げられているようですが,データ解析の必要性は社会に出てから実感させられるようですね.そこで,学生を含め忙しいビジネス業界の人たちが統計学をシンプルに学べるように工夫して執筆したのが「公式と例題で学ぶ統計学入門」共立出版になります.文章の説明を読むのには時間がかかるけど,公式なら視覚として目に入るので,シンプルに学べるのではないかと考えました.

あとは,基礎統計から数理統計へと進む上でハードルになるのが数学なので,基礎数学の本を来年3月に出版する予定です.微積分と線形代数を一通り,ただしイプシロン・デルタ論法とかは出さずに,いわゆる使える道具としての数学が理解できるような本になります.たとえば,三角関数は極力登場させないで,一変数の微分,テイラー展開,極値問題,2変数の微分,陰関数定理,ラグランジュの未定乗数法,積分を扱い,三角関数の微積分はその後の章にまとめて扱うようにしています.線形代数も簡単な二行二列のケースで最後まで全部通してしまう.その後に一般の行列の逆行列,行列式,固有値を扱う.最後にベクトル空間の話をとりあげて線形代数の面白さが伝わるように意識して書きました.

—— 大学院生の指導方針は.

基本的には修士論文を国際ジャーナルに投稿しようという思いで,一緒に研究していました.多くの学生がこの目標を達成して,その中から研究者になりたいという学生が博士課程に進んで,という感じでした.

—— 指導学生と多くの共著論文を出版されている.

東京大学大学院経済学研究科の学生は優秀ですね.自分の方で研究のアイデアを出すと,あとは深く掘り下げて詰めてくれる.本当に素晴らしいしありがたかったですよ.みんな育ってくれて,大学で教員として活躍している姿を見ると嬉しいです.

—— 初期には学生との共同研究は少なかったようであるが.

特に意図的な方針があったわけではありません.昔から,経済系では単著が多く,工学系では指導教官と共著で論文を書くのが伝統のようです.

—— 学生に関係する印象的なエピソードはあるか.

修士課程二年のある大学院生の印象が今も残っています.修論でその学生が考えた統計手法についてシミュレーション実験を行ったところ,実にきれいな結果が出てすごく感動していたのを覚えています.「統計って面白いですね」と言うので,「博士課程に来てみたら,君なら大丈夫だよ」って言ったんです.修士二年の十月頃だったと思いますが,その数日後に会ったとき,会社の内定を断ってきたとの報告を受けました.博士課程に進学して博士号を取得し,今は大学の教員をされています.シミュレーション実験での感動が人生を変えたエピソードですね.博士課程進学はリスクがありますが,研究がうまくいって研究者の道を開くことができて嬉しいですね.

数学が大変よくできる大学院生がおりました.彼の能力なら世界でまだ解かれていないオープンな問題を考えるのもいいかと思い修論のテーマにしました.日々試行錯誤し挑戦してもなかなか難しくて結果を出せない.そうした日々が四か月ほど続いたある日の研究打ち合わせのとき,修士二年の十月くらいだと思いますが,彼が証明ができたというのです.詳しく説明を聞くと,この分野で従来使われてきた方法とは全く異なる新しいアイデアを出して証明に成功していることがわかりました.感動しました.一つの大きな壁を乗り越えると,それが自信になり,更に大きく飛躍していくのが青年の力なのでしょうね.その後の活躍は素晴らしく,数理統計学の世界的なリーダーの一人に成長されています.

(コンピューター,通信技術,学会,その他)

—— 数値計算についてはどうしてきたか.

大学院時代は理論研究をしていたので数値計算はしませんでした.その後,S-PLUSが使われ,今は皆さんRを使われる方が多いようです.Rはフリーのソフトで,しかも最新の統計手法もパッケージとして組み込まれているのでとても便利ですね.自分は,シミュレーション実験を行うときには,大森裕浩先生から教わったoxを使っています.

—— 海外の研究者とも簡単に連絡が取れるようになった昨今でもなお対面でコミュニケーションを取る意義は.

今は,zoomやskypeを使えば海外の研究者とも顔を見ながら連絡を取ることができて便利な世の中になりました.一方で,対面で会うことは,お互いの表情や熱量を通して共有できるものが違ってくるような気がします.授業についても,コロナ禍のときにはzoomで一方向の講義をしていましたが,解除された後は対面による本来のスタイルに戻っています.それは,学生の表情を見ながら学生と双方向のコミュニケーションをとることによって"生きた"講義ができることに依るのかもしれません.しかし,現実はなかなか難しくて反省するばかりですが.対面による有機的なつながりは,単なる知識の教授を超える何かをもたらす効果があるのだと思います.

Ghosh, Kubokawa and Kawakubo (2015)という論文がBiometrikaに掲載されましたが,投稿して数ヶ月後に届いたレフェリーチームのレポートは10ページを超える長さでした.見た瞬間,やる気がなくなるような状況でしたね.それを半年後にフロリダ大学に行って,それぞれのコメントにどのように回答したら良いかをMalay Ghoshと一緒に考えました.その場所に身を置くことによって必死になれるものですね.一週間集中して全部のコメントに回答して再投稿したことがありました.一人だと多分諦めていたけれど,二人だといろんな力,アイデアが出てくるからとても助かりました.

—— 国際学術誌のAEの経験は.

あまりありません.統数研のAISM,韓国のJournal of the Korean Statistical Societyとか.あと廃刊になってしましたが,Statistical Methodologyという雑誌.論文をハンドリングするのはハードで,AEはやりたくないなと個人的には思いました.

—— Journal of Multivariate AnalysisではAEをやっていませんでしたか.

やってたのかやってなかったのか忘れちゃいましたね(笑).

—— 東大周辺でおすすめのランチは.

ハンバーガーのFIRE HOUSE.中華では春日通りの萬成園.最近だと赤門前の金田飯店とか.あと,韓国料理のいなか家ですね.

今はなくなってしまいましたが,いなか家の近くに大島屋というお店があってよく行きましたね.工学部のころには,改装前のもり川食堂にも行きました.

(今後の展望)

—— 今後数年間の展望は.

教育については,学生が統計学を楽しめるような授業をしたいと思っています.東大ではどうしてもここまでは教えなければならないというものがあるので,その定まった内容を一方的に教えるようなスタイルで講義をしてきました.自分が学生時代の数学の先生はそのようなスタイルで講義をし学生は必死に食らいついてきましたが,今の学生にはそのスタイルは通用しないように思います.とりあえず,何をどこまで教えなければならないという枠組みを取っ払って,学生が統計学の面白さを享受しながら統計学を学べるようにするにはどうしたらよいかを自分なりに1から考え直してみたいような気がします.そのような教科書をいくつかのテーマで70歳までに書きたいとも思っています.

研究については,自分の興味に従い面白いと思う研究をやっていきたいですね.最先端を追求する能力もエネルギーも年々落ちていくのが自然ですが,研究への意欲なり野心だけは持ち続けたいと思います.Kendall "Advanced Theory of Statistics"という統計学の古典のような本がありますが,そこに書かれている事項を勉強しながら,古典の中に眠っていたものを現代に蘇らせるような研究ができたら楽しいだろうと思います.

—— 現在興味のあるテーマは.

統計学輪講で小川光紀先生がFirth methodの話をされたのを聞いていて,すごく面白いと思ったんですよ.MLEは2次バイアスを持っているから,ペナルティー項を加えれば一般化された尤度方程式の解は2次不偏にできると.ペナルティー項は指数の肩に載せればpriorになるじゃないですか.ではどんなpriorならベイズ推定が2次不偏になるのかと,ラプラス近似してテーラー展開したら,フィッシャー情報量だっていうことがわかったんです.普通ならnon-informativeなpriorはJeffreys priorでよさそうに思えますが,それではベイズ推定量が2次不偏にならない.しかしフィッシャー情報量をpriorにとれば2次不偏になるんですね.ただ多次元への拡張は計算が大変で研究が止まっていましたが,修士課程の学生がその拡張に取り組んでくれ,かなりいい結果を出してくれて,とても嬉しいです.

今は,それに関連して,階層事前分布の取り方を同様な方法で求めることができないかを考えています.2段階事前分布の場合,2段目の事前分布をnon-informativeにとることによってロバストなベイズ推測が可能になります.そのとき2段目の事前分布としてどのようなnon-informativeなものを取るべきかが問題になります.そこに2次不偏になるようなpriorを考えたのと同様な方法で2段目の事前分布の特徴付けを与えることができれば面白いと思って取り組んでいます.これができれば,ポアソン・ガンマモデルや2項・ベータモデルについても同様な議論が展開できる可能性があり,インパクトのある研究ができるような気がしています.

—— ありがとうございました.


(2024年12月11日公開)


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